みくに隠居処|由来と歴史

隠居処の由来

当店は、福井藩16代藩主松平春嶽の教育係で参謀も務めた中根雪江が、晩年、宿浦(現在の宿)に造った隠宅”煙波楼(えんぱろう)”を、当時、庄屋(村の村長)をしてた、伊藤五右エ門が譲り受けたことが名称の由来となっている。

隠宅”煙波楼(えんぱろう)”は最終的には手放すこととなったが、地域の人々からは、隠宅を譲り受けた五右衛門の屋敷ということで、「隠居処」と呼ばれるようになったと語り継がれている。

隠居処の歴史

隠居処・・・、それは文字通り、「隠れ」「居る」「処」。かつての人も、現代の人と同じよう、自分の心と体を癒す隠れ家を望み、探したのであろう。

当店が「隠居処」と呼ばれるようになったのは、天明元年(1781年)より数えて5代目伊藤五右エ門の代のことです。

隠居処には、全国を往来する北前船の船員や地元の漁師が集い、やがて「娯楽の場」となりました。そして、その居心地の良さから徐々に自宅に帰らず、寝泊まりをする者が増え明治・大正には簡易宿舎“清風亭”、昭和・平成にかけては料理旅館として“伊藤旅館”を営む。

その後、建物の老朽化に伴い、平成17年を最後に長らく休業中であったが、語り継がれる当時の賑わいを今一度、復活するべく、11代目が200年以上の時を経て再起を決意、現在に至ります。